五月病で大学の授業に行くのがめんどくさい?そもそも大学に意味があるのか考えてみた | LIVE YOUR LIFE

五月病で大学の授業に行くのがめんどくさい?そもそも大学に意味があるのか考えてみた

 

『もしもこの世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。』

 

かのヘレン・ケラーが残した、ぼくの好きな言葉です。

 

そう、5月といえば『五月病』ということで、何かと身体の力が抜けがちになってしまう月。

世の中も喜びばかりではないので、時には勇気と忍耐を学ばなければならない、と…。

 

特に大学生なんかは、ただでさえ退屈に感じている授業に五月病がかけ算されるわけで、4月にあんなにキラキラしていた新入生も今ではすっかりどんよりムードだったり。

ぼく自身は、年がら年中ほぼ五月病みたいな重病患者だったわけですが、その中でも5月というのは何かと身体も動かしにくかったことを覚えています。

 

さて、今日はそんな気怠さの象徴である五月病患者の大学生のあなたに対して、『そもそも大学って行く意味あるの?』というところから一緒に考えていきたいと思います。

 

五月病以前に大学の授業はめんどくさい

 

 

これはけっこうぼくの持論というか、まあ世間の大学生のほとんどが身に染みて感じていることだと思います。

 

確かに『五月病』というところで見れば、『ああ五月病だから大学行くのめんどくさいなー』とその病名に頼ってしまいがちですが、実際のところは六月病も七月病も発疹している場合がほとんどではないでしょうか。

 

つまりは『大学の授業はそもそも面倒なものだ』と。

 

そうであるからこそ、別に五月病だなんだと今になって騒ぐような必要はないわけで、そもそも五月病なんてのも気持ちの問題でしかないんですよね。

 

それに五月病に限らず、

  • 怠い
  • 眠い
  • 帰りたい

といったような人間の三大マイナス感情というのは、消し去ろうと必死にもがいたとしても、さらに怠くなるし眠くなるし帰りたくなるものだとぼくは思っています。

 

つまり何が言いたいのか?というと、

『別に面倒なら行かなくていいし、行きたくなったらまた行けばいい』

ということ。

 

あくまで単位や学費うんぬんのことをごちゃごちゃと話さないのであれば、です。

 

人間って行きたくもないところに行けば行くほど、嫌なことを我慢すればするほど、どんどん『自分』がわからなくなってしまう生き物なんですよね。

 

ひたすら留年を積み重ねるだけの化石大学生、行きたくもない会社に嫌々通い続ける社畜サラリーマンなんてのは、ここのところの末路に他なりません。

 

まあだからこそ、別に義務教育でもないんだから授業に行きたくないなら行かなければいいし、時間が経って行きたくなったらまた行ってみればいいと思うわけです。

 

それに、五月病なんて案外気がついたら治っていたなんてこともザラにあるので(そもそも病気じゃないから治るとかそういう話ではないけれど)、そもそも五月病そのものに対してそこまで問題意識を抱く必要はないんですよね。

 

ただ、問題はそれよりもさらに深いところにあります。

 

それはすなわち、『大学そのもの』の意味。

 

『大学ってそもそも行く意味あるの?』というところですね。

 

もし五月病で学校がめんどくさくなったのなら、これはなかなか良い機会。

普通の大学生活を送っていたら考えることもないであろう、『そもそも大学って行く意味あるの?』ということについて、ちょうどいいので一緒に考えてみましょう。

 

 

そもそも大学に行く意味はあるのか?

 

 

さて、『そもそも大学に行く意味はあるの?』という話ですが、曲がりなりにも4年間の大学生活を終えたぼくなりの答えとしては、

 

大学に行く意味は『あります』。

 

中退した身でこんなこと言うのもなんですが、大学に行く意味ってあるとぼくは思っていて。

その形こそは人それぞれではありますが、サークルであったりバイトであったりゼミであったり先生であったり、大学ではこれまで経験してきた義務教育とは比べ物にならないほど多くの『出会い』があります。

 

ぼくは学問的に何かを学んだと自信を持って言えるわけではありませんが、『人との関わり合い』においては果汁100%ジュースのような濃密な経験をしてきた自信があります。

 

それは300人規模のサークルで過ごした時間にしても、授業に行かなすぎて教授のおばさんと喧嘩したことにしても、成績不振の顔馴染みのメンツに出会えたことにしても。

 

よく『大学なんて行く意味がない』という話を聞くこともありますが、確かに教育的な点においては意味があるとは声を大にして言えないのが正直なところ。

 

それでも、受験のふるいにかけられて様々な地域の人間が集まり、そして志を同じくする仲間たちと出会い、時には馬が全く合わないようなよくわからない人がいたり。

ちょっと普通の大学生とは違った経験かもしれませんが、そうした『人との出会い』にこそ大学の行く意味があると、ぼくは思っています。

 

ただここで大切なのは、

 

『大学に行く意味があるから行く』

『大学に行く意味がないから行かない』

 

という二元論的な議論などではありません。

 

別に大学に行く意味があると言う人もいれば、反対に行く意味はないと言う人も当たり前のごとくいるわけで。

そこで意味があるだないだと鼻息荒くして議論するつもりは、まっさらぼくにはありません。

 

そうではなくて、ぼくがこの記事を通してあなたに伝えたいのは、大学へ行く意味を考慮した上で、

 

『”今”という時間を無駄にしないでほしい』

 

ということなんですよね。

 

 

大切なのは『今』を無駄にしないこと

 

 

ぼくたち若者にとって、将来の夢とか進路とか就職とか、そういうものを問い詰められても正直言ってよくわからなくなってしまうときが多々あります。

つまり、不透明な未来に対して漠然とした不安に駆られることがあると。

 

大学受験にしても就職活動にしても、何にしてもそう。

 

『君のやりたいことは何だ!?』

『学びたいことはあるのか!?』

『将来やりたいことは何だ!?』

 

そんなことを大人に問いただされるシーンの、何と多いことか。

 

でも、正直そんなのわからないじゃないですか。

もちろん、なりたい将来像に向かって必死に努力している人もいるわけですが、ぼくは少なくともそうではなかった。

 

そんなこともあってか、

 

『今大学で勉強してることに意味はあるのか?』

『今やってることは将来の職業に繋がるのか?』

 

といったように、世の中のたくさんのことに『意味』ばかり求めてしまっていたんですね。

 

大学にしても、退学した今では『意味があった』と自信を持って言えるわけですが、以前は『大学行く意味なんてないでしょ』と授業もロクに行ってなかったわけです。

 

でも、ぼくはそんな自分の選択に対して、後悔していないというか。

 

大学に行く意味はないと自分の頭で考え、そしてふと目の前に現れたインターネットビジネスというものに対して全力で取り組んでみた。

ビジネスなんて自分には向いていない、何を怪しいことをやってるんだと心の端っこで思いながらも、ただただ必死にブログを書く日々を送っていたわけです。

 

でも、当時のぼくがそこに『意味』を求めていたかというと、全然そんなことはなくて。

 

たとえ眼前の未来が不透明なものだとしても、ただ単純に『目の前にあること』を全力でこなしていっただけなんです。

 

そうして目の前のことに全力で向き合っていった結果、今ではこうして就職もせずに自分らしく生きることができています。

 

結局何が伝えたいのか?というと、

 

『自分のやることに”意味”なんて求めても、あなたが思うような未来は訪れない』

 

ということ。

 

もちろん、自分のやっていることに対して、何となく行っている大学に対して、『これって意味があるのか…?』と勘繰ってしまうことはよくあります。誰にでもあります。ぼくにもよくありました。

でもそうして意味ばかり求めて生きていても、結局何が自分のためになるのかなんて全くわからなくなってしまうんですよ。

 

だからこそ、ぼくたちがすべきことは『ただただ目の前のことに全力で向き合うこと』であって、

 

『”今”という時間を無駄にしないこと』

 

だと思うんです。

 

『意味』とか『常識』とか、そういうつまらないものにとらわれるんじゃなくて、自分の心の赴くままに生きてみればいいと思うんです。

 

大学に行くのがめんどくさいなら、バイトでも副業でもボランティアでも何でもいいから始めてみればいい。

大学には別に行かなくてもいいから、自分なりに『今できること』を見つけてそっちに全力を注いでみるといい。

 

そうして必死に動き続けていれば、いつか何かしらの『形』に絶対なるから。『自信』や『夢』になっていくから。

五月病なら五月病の赴くまま、自分の心の赴くままに生きてみてください。

 

 

最後に

 

最後に、ぼくの好きな言葉にこんなものがあります。

 

『何となく生きていても、何となくな結果しか得ることはできない』

 

大学に行くにしても行かないにしても、大切なのは『何となく時間を過ごさない』ということ。

大学生のほとんどというか、大学生に限らず多くの人が『”今”という時間をなんとなく生きている』とぼくは感じていて。

 

そしてそれと同時に、そんな人たちに『変わってほしい』とぼくは思っています。

 

今回は『五月病』という些細な切り口からお話ししていきましたが、そんなぼくのメッセージが何かしらの形で『きっかけ』を与えられたらなと思います。

何となくな幸せなんて、何となくな未来なんて、少なくともぼくは嫌です。あなたはどうでしょう?

 

五月病というのもなかなか良い機会ですので、それとなーく考えてみてください。

 

 

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公開日:2017/04/24

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