辻本賢人の野球人生や現在に学ぶ|環境を変える勇気を持つことの大切さ | LIVE YOUR LIFE

辻本賢人の野球人生や現在に学ぶ|環境を変える勇気を持つことの大切さ

 

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どうも、RIKUです。

野球選手の辻本賢人選手を知っていますか?

 

中学3年という非常識な年齢で、阪神タイガースにドラフト8巡目で指名された、ある意味伝説のような人物です。

そんな辻本賢人選手ですが、史上最年少でドラフト指名された華々しい経歴を持っていますが、彼の野球人生は順風満帆というわけではありませんでした。

 

戦力外通告、わずか20歳で現役引退の危機、海外での挑戦…と、数々の苦労を重ねてきました。

しかし、辻本賢人選手はそんな自身の野球人生に対して、後悔を感じていません。

 

なぜ、辻本賢人選手はそんな前途多難な野球人生を後悔なく全うすることができたのか?

辻本賢人選手の波乱万丈な人生から学ぶ、自分の人生を後悔しないためのマインドセットを見ていきましょう。

 

最年少15歳で阪神に指名された、辻本賢人

 

辻本賢人選手が阪神タイガースにドラフト8巡目で指名されたのは、2004年の秋でした。

当時は中学3年ということで、史上最年少の15歳でのドラフト指名でした。

 

そんな経歴を持つ選手を他に聞いたことはありませんし、正直中学3年がドラフトで指名されるなど、にわかに信じがたい話です。

そんなこともあり、当時は世間の話題を大きく呼ぶことになり、一躍脚光を浴びることに。

 

そうして、日本を代表するプロ野球選手が誕生したかに思われたのですが、辻本賢人選手の野球人生は決して楽な道ではありませんでした

 

戦力外通告を受けたその後

 

辻本賢人選手は15歳という驚異的な若さでプロ野球界入りを果たしたわけですが、阪神在籍中は思うように結果が出せず。

しかしそれもそのはずで、たいていの野球選手は高校野球で甲子園を経験したり、大学野球でしっかりと実績を残したりと、キャリアを積む期間があるのが普通です。

 

一方で辻本賢人選手はそれらの期間を飛び級し、いわばキャリアを積みながら実績も残さなければいけないという、他人の何倍も大変な道を選んだのです。

 

そして、結果として5年間の在籍期間を経て、悲しくも努力や健闘は実らずして戦力外通告を受けることとなってしまいました。

残念な結果ではありますが、そのキャリアの短さから考えても仕方のないと言わざるを得ませんね。

 

戦力外となり阪神を退団することとなった辻本賢人選手は、その後も野球を諦めきれず、各球団に声をかけられるためトライアウトなどにも参加しましたが、あえなく惨敗。

わずか20歳という年齢にして、野球人として現役引退の危機にさらされることとなってしまったのです。

 

アメリカでの再挑戦

 

そうして、日本球界から姿を消したかに思われた辻本賢人選手ですが、その後はアメリカへと勝負の場を変えています。

日本が駄目ならアメリカでやってみたらどうだという恩師の言葉を受け、独立リーグでのトライアウトに挑戦したのです。

 

これはなかなかに思い切った決断ではありましたが、結果として環境を変えた辻本賢人選手のキャリアはどんどん分厚いものになっていきました。

投球フォームを研究し、球速も140、150キロ台をマーク。

さらにはハワイの独立リーグの球団から、1位指名を受けるほどまでに成長することができたのです。

 

独立リーグでの環境は良いものではなく、衣食住も満足いくものではありませんでしたが、バイトやホームステイなどの下積みを我慢しつつも、試合に出場する機会はどんどん増えていきました。

そうして実践を重ねていく中で、みるみるうちに実力を身につけ、結果として『メジャー』の存在も近いものになったのです。

 

環境を変える勇気を持つことの大切さ

 

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辻本賢人選手は、もちろん生まれながらにして才能のある人間でした。

15歳でドラフト指名を受けるなど、常人では成し得ないことです。

 

しかし、辻本賢人選手にはその才能を生かすことができる『環境』が整っていませんでした。

日本のプロ野球界に足を踏み入れれば、もちろんのことながら結果が求められます。

結果を出さなければ生き残っていけないのが、プロの世界です。

 

そうして、キャリア不足でプロ野球界に対応できなかった辻本賢人選手は、結果として戦力外にもなっていますが、その後は場所を変えしっかりと結果を残すことができています。

辻本賢人選手の人生の転機は、決してドラフト指名ではなかったのです。

 

思い切ってアメリカに渡ったこと、そうして環境を変えたことこそが辻本賢人選手のキャリアを何倍にも膨れ上がらせたのです。

 

もし、戦力外を受けたその後も、ひたすらに日本でトライアウトを受け続けていたら、そのまま受かることなく辛い挑戦を続けていたことでしょう。

仮にもし合格したとしても、日本のプロ野球界で生き残り続けていくことは簡単な話ではありません。

 

しかし、アメリカへと挑戦の場を移し、いろいろな野球人に触れ経験を積み重ね実力をつけていったことによって、彼はまたひと華咲かせることができました。

これは間違いなく、日本からアメリカへと『環境』を移したことが功を成したのです。

 

このことはどんなことにでも通じるもので、失敗や挫折をした環境に身を置き続けていても、現状が変わることはそうありません。

しかし、勇気を持って環境を変え、そして新たな価値観や常識と出会うことによって、新たな自分を見つけることができるのです。

 

また、辻本賢人選手は独立リーグを経験した後、ハワイからフロリダへと環境を移し、メジャーリーグでのマイナー契約も勝ち取っています。

そうして、どんどんと自らの環境をステップアップさせたことにより、自らのキャリアもレベルアップさせていったのです。

 

環境を変え、挑戦し続けた辻本賢人選手はこう語っています。

 

『すべてをやり切った野球人生に悔いはない』

 

このように言い切れるのは、環境を変えるという勇気ある決断をしたからです。

かつて日本を沸かせた天才中学生球児は、一度は挫折を経験するも、新天地で成功を収めていたのです。

 

最後に

 

辻本賢人選手の野球人生から、環境を変える勇気を持つことの大切さを見てきましたが、いかがだったでしょうか。

『才能があったから新しい環境でも成功できたんでしょ?』

そう感じたかもしれませんが、辻本賢人選手を成功に導いたのは彼の『才能』だけではありません。

 

新たな環境での『出会い』、そしてそこで得た『経験』、そうしたものが辻本賢人選手の血となり肉となり、彼を成功へと導いたのです。

 

僕はネットビジネスを実践していますが、この世界の成功者は決して才能のある人ばかりではありません。

むしろ普通の会社員だったり大学生だったりと、誰もが『普通』の人間でした。

 

しかし、その成功者の誰もが会社を辞めたりコミュニティに参加したりと、新たな環境へと足を踏み入れたからこそ成功しているのです。

環境を変えることは『痛み』を伴う決して楽なものではありませんが、その痛みはあなたの血となり肉となり、成功するために欠かせないスパイスとなります。

 

もしも、後悔したくない人生を送っていきたいのであれば、辻本賢人選手が日本からアメリカへ、ハワイからフロリダへ環境を変えたように、まずは環境を変える勇気を持つことから始めてみると良いですね。

そうすることで、新しい常識や価値観に触れ、自分の人生も彩られ輝かしいものになっていきますので。

 

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公開日:2016/11/10

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